萌えいづる春に なりにけるかも
石(いわ)激(ばし)る 垂水の上の さ蕨(わらび)の
萌え出づる春に なりにけるかも
万葉集 第8巻 1418 春の雑歌
志貴皇子のよろこびの み歌
越国とは現在の北陸以北辺りで大和朝廷にもなかなか屈しないかった程の勢力を誇っていた国出身の母を持つ
志貴皇子の歌には 「冷え寂(さ)び」 とか「冷艶(れいえん)」など 北方的美意識があるといわれる由縁である
その美意識の伝承は、息子の湯原王、孫の安貴王、ひ孫の市原王へと繋がってゆく
その系統が途切れた時、再び天智天皇系にチャンスが巡ってきた
そこから天智天皇系が現在まで続くことになる
志貴皇子はそれを繋ぐ役目を果たしたこととなった
なぜならこの歌によってこれまで千年以上語り継がれてきたように、この先も語り継がれることだろう
いはばしる たるみの上の さわらびの
萌えいづる春に なりにけるかも
萌えいづる春に なりにけるかも