ーー 信濃なる 千曲の川の さざれ石(し)も
君し踏みてば 玉と拾はむ
詠み人知らず
自然に口ずさみたくなる歌
詠み人知らずのこの歌は、口伝えでたくさんの人々が口ずさみ伝わっていくうちに言葉が選別され、河原の石が段々角が取れて丸くなるように洗練されていったと思われる
□ 稲つけば かかる我(あ)が手を 今宵もか
殿の若子(わくご)が 取りて嘆かむ
同じく14巻『相問』の中の詠み人知らずの一首
毎日の辛い仕事であかぎれができ、マメだらけになった自分の手を見て、当時の女性達はその手を優しくとってくれる若い主を空想し、歌いあって辛い仕事を乗り越えていたのかもしれない
現代と違い、まだ文字も書くことが出来ない人々の間で、歌謡が果たす役割は、私達の想像を超えているに違いない
□ 愛(かな)し妹を いづち行かめと
山菅(やますげ)の 背(そ)がひに寝しく 今し悔しも
この一首は 『挽歌』として採られている
「かなし」 は、悲しいほど愛おしい、心が締め付けられるほど恋しい、というような意味
東国の人達が歌った東歌(あずまうた)で主に使われた表現のようだ
愛しい妻が何処にも逝くはずがないと、山菅の葉のように背中合わせで寝たことが今も悔しい、 というような意味か
『山菅の』は 「背がひ」に掛かる枕詞
時代が下ると、枕詞は形式的になっていく印象があるが、万葉集や古事記の頃の枕詞は、血の通った実感のようなものを感じ取ることができる
より素朴で、より感覚的な魅力に溢れる