君が行き 日(け)長くなりぬ やまたづの
迎へを行かむ 待つには待たじ
軽大郎女(かるのおおいらつめ)
奈良時代頃までは、異母兄妹での結婚は認められていたようで、天皇の結婚にも幾例かみられる
母系社会の名残からか、子供達は各々の母親のもとで養育され監督されていたようだ
そのため異母兄弟姉妹であれば血の繋がりの感覚は薄かったのかもしれない
しかし、同母兄弟姉妹の結婚となると話は違う
古代であってもそれは禁忌とされてきた
古事記の中に、軽皇子(かるのみこ)という第一皇子の悲劇の物語が採りあげられている
まもなく天皇となる身分であったにもかかわらず同母妹の軽大郎女を愛してしまい、民衆の心がは離れ、糾弾されて伊予の国へ流刑となる
離れ離れになった軽大郎女が軽皇子に向けて歌ったのが上の歌だ
--あなたが行ってしまって随分時が経ちました
もう迎えに行きます 待つには待ちました(略訳)--
そうして軽大郎女は軽皇子を追って伊予の国へ向かった
そして、軽皇子は歌う
□……真玉なす あが思(も)うふ妹(いも)
鏡なす あが思(も)ふ妻
ありと言はばこそ
家にも行かめ 国をも偲はめ
--あなたがいると思うからこそ、家にも帰ろうと思うし国をも偲ぶのだ(略訳)--
そうして軽皇子は軽大郎女と心中した
このような物語が含まれているところが古事記のユニークな点であり、魅力なのである