わが身ひとつは もとの身にして
月やあらむ 春や昔の春ならむ
我が身ひとつは もとの身にして
『伊勢物語』第4段より
伊勢物語自体の作者は不詳で、だいたい平安中期くらいまでに作成されたか
和歌を中心にその歌の背景の物語を短編の章にして、物語全体で、ある男の一生を綴ったように構成される
後の紫式部らにも大きな影響を与えた作品だ
4段の内容としては、五条にある藤原順子皇后の屋敷の西の対に、姪の藤原高子が住んでいて、男は子供達が壊した塀の隙間から忍んで通っていた
しかしある日、高子は屋敷からいなくなる
男は高子がどこへ行ったか知っていたが、どうすることも出来なかった
その翌年の梅が咲く頃、男は再び屋敷を訪れ、荒れた板敷きに横になり、月が傾くまで物思いにふけった
月やあらむ 春や昔の春ならむ
我が身ひとつは もとの身にして
ーーー この月も春も昔のものではないのに、私一人が昔のままだ
藤原高子とは藤原北家の娘で、18歳の頃には五節舞(ごせちのまい)の舞姫にも選ばれている
五節の舞 とは大嘗祭などで舞われる
この舞姫となるのは家柄なども含め選ばれた女性だ
伊勢物語の第6段には、
○ 白玉か なんぞと人の 問ひし時
露と答へて 消えなましものを
男が、高子がモデルと思われる女をさらって逃げようとした
その時、草の上に夜露が輝いているのを見て、女が
「これは真珠ですか?」
と尋ねた時に露だよと答えてまるでツユのように一緒に消えてしまえればよかった…と嘆く
その後女は父親達に捕まって連れ戻されてしまう(物語では女が鬼に食べられたと表現している)
草露すらも初めて見る程の深窓の令嬢だった
高子は、25歳で清和天皇のもとに入内した