行き暮れて 木の下陰を 宿とせば
花や今宵の 主ならまし
平忠度(ただのり)
平忠度とは平家の公達で、後の源氏との合戦においては武将として戦った
和歌に優れ、戦う前に死を覚悟して辞世の句をしたためていた
それが上記の歌
--旅に行き暮れて、桜の木の下を宿とすれば、花が今宵の主であるな…--
忠度を討ち取った者は、その辞世の句がしたためられた紙を見つけ、そこに書かれた名前を見て、かの薩摩守・忠度だと知る
忠度が討ち取られた事を知った敵も味方も、「武芸にも歌にも優れた方だったのに… 」と、惜しんだという
平家は元々は武士の家柄であるが、清盛が朝廷内で権力を持つにつれて清盛の一族は段々と貴族化してゆく
朝廷内で高い地位にいようとすれば、天皇や公家達にならって芸事も磨かなければならない
そうして武門の家柄にありながら貴族の様に暮らし、貴族化していった
しかし情勢は一転し、平家一門は都の屋敷から出て追っ手から逃れる身となり、厭がうえにも武士として戦わなければならなくなる
一度闘いの舞台から離れ、貴族のような暮らしに浸っていた者が、突然闘いの舞台に連れ戻されてしまった
芸術的な美学と、闘いの世界とは相容れない世界
その狭間で平家の人々は揺れ動いた
その姿を平家物語は描いて人々の心をとらえた
平忠度は、都落ちの際にも歌の師匠である藤原俊成に歌を託している
さざなみや 志賀の都は 荒れにしを
昔ながらの 山桜かな
人は滅びても、花と歌は残った