古歌集

万葉集・古事記・百人一首・伊勢物語・古今和歌集などの歌の観賞記録

春の日のうららにさして行く舟は


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春の日の うららにさして 行く舟は 

         竿の滴も 花ぞ散りける

               源氏物語 胡蝶

 

源氏物語、胡蝶の巻に出てくるこの歌は、物語の中の六条院で催された春爛漫の舟遊びの場面での一首

 

六条院の邸には春夏秋冬をテーマとした各々4つの区画の邸宅があった

光源氏は春の御殿の池に、唐風の竜頭の装飾を施した竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の船を浮かべさせ、楽を奏し宴を催した

 

船の上からは今を盛りの桜花、藤の花、山吹の花までが咲き乱れ、水鳥達が飛び交う様を目にした若い女房達は、まるで絵の中の世界のようだとうっとりとして各々に歌を詠んだ

上の歌はその中の一首だ

 

六条院邸のモデルとなったのは、平安初期の公卿、源融(みなもとのとおる)が建てた河原院(かわらのいん)とされる

源融は、百人一首では「河原左大臣」として登場する

嵯峨天皇の皇子だったが臣籍に下り源氏姓を名乗った

臣籍に下った後も莫大な富と権勢を誇り豪奢な生活を送ったことで知られている

宇治にも別荘を持ち、それは後に平等院となった

 

『サ・クラ』はその昔、穀霊神の宿る神坐(かみくら)の花とされ、木々が満開になるのを豊穣の予兆と考えられたため、豊作を願い桜の花が散らないよう祈ったのが花鎮祭(はなしずめのまつり)の起源とされる

 

その後、古墳時代崇神天皇の御代に疫病が大流行し、

 

『神祇令』「季春(すえのはる)花を鎮めの祭」春の花の飛び散るの時、疫神、分散して癘(れい)を行う。この鎮滅のため、必ずこの祭り有り、故に鎮花(はなしずめ)という

 

というように、疫病蔓延を防ぐ祭へと転化していったようだ

 

源氏物語に描かれた春の宴の一場面は、ただひたすらに一瞬の美の世界を切り取る

 

……それはまるで『胡蝶の夢』のように

 

 

春の日の うららにさして 行く船は

           竿の雫も 花と散りける