桜の花の にほひもあなに
娘子(をとめ)らが 頭挿(かざし)のために
遊士(みやびを)の かずらのためと 敷きませる
国のはたてに 咲きにける
桜の花の にほひもあなに
伝 若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)
万葉集第八巻 春の雑歌より
乙女達や風雅な男達が、髪に挿したり蔓を輪にして巻き付けたりして挿している桜花が、大君の治める国の端まで咲き輝いていることだ(私訳)
頭挿(かざし)や かずら は飾りとしてだけ髪に挿すのでなく、古代では草木の生命力を自らに取り込もうするような意味合いがあった
古事記の中で、ヤマトタケルが東の国を平定して故郷に帰り着く前に病にかかって亡くなるが、亡くなる前に望郷の歌を幾つか歌った
命の またけむ人は
たたみこも 平群の山の
熊かしが葉を うずに挿せ その子
(命の無事な人は、故郷の平群の山の大きな樫の木の葉を髪飾りに挿すが良い、おまえ達よ)
「うず」 は、「かざし」 とほぼ同じ意味か、あるいは髪を頭の上に束ねた様を うず と言い、そこに草木を挿して飾ることを かざし と言ったとも考えられる
先の歌からは桜咲く春の喜びと高揚感が、後の歌からは植物の生命を己が内に取り込みたいという強い願望が感じられる