沢の蛍も 我が身より
もの思えば 沢の蛍も 我が身より
あくがれ出ずる 魂(たま)かとぞ思ふ
和泉式部(いずみしきぶ)
実際はどうだったのだろう
実際のところ噂に違わぬ恋愛遍歴と、何にもまして女流歌人の第一人者といえる数々の明歌・秀歌を残している
和泉式部は、和泉守(いずみのかみ)の官吏をしていた夫がいたが、冷泉(れいぜい)天皇の皇子、為尊(ためたか)親王との恋でスキャンダル(身分違いのせいか、夫がある身のせいか、両方によるものか?)となり、親からも勘当されてしまう
だが、その為尊親王は26歳の若さで亡くなる
ほどなく、その弟宮の敦道(あつみち) 親王とも恋に落ち、宮の邸に迎えられ、仕えることとなるが、敦道親王も27歳で亡くなってしまう
■ 菅(すが)の根の 長き春日も あるものを
短かりける 君ぞ悲しき
後半生は、一条天皇の中宮である障子のもとに女房として出仕した
同僚の先輩には紫式部らがいてサロンのようになっていた
和泉式部の娘の小式部内侍(こしきぶのないし)も歌を良く詠み、同じく障子に仕えたが、27歳の出産の時に早世してしまう
● とどめおきて 誰をあはれと思ふらむ
子は勝むらむ 子は勝りけり
--子供と親を残して死んだ娘は今誰を思っているだろうか?きっと子供を思う気持ちが勝っているだろう、私も親よりも娘の方が愛おしいのだから (私訳)
和泉式部はその後再婚をし、夫について丹後へ行く
その夫も亡くし、都へ帰郷した和泉式部は、水の神様の貴船神社にこもって詠んだともいわれる歌
もの思えば 沢の蛍も 我が身より
あくがれいずる 魂かぞと思ふ