家にあれば 笥に盛る飯を
家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕
旅にしあれば 椎(しひ)の葉に盛る
有間皇子(ありまのみこ)
この歌は、有間皇子が謀反の罪によって白浜の方へ護送される途中に歌った辞世の句の一首
~家であれば器に盛られる食事も旅であれば椎の葉が器か…
旅は、現在の感じる感覚と随分違うはずだ
ましてや死へむかう旅ともなればなおさら…
■ 磐代(いはしろ)の 浜松が枝(え)を ひきむすび
ま幸(さき)くあらば また帰り見む
~ 磐代(現在の和歌山県にある地名)の崖下の道沿いの松の枝と枝とを結んで旅の無事を祈り、もしも命がながらえることができたなら、帰りにこの松を見よう…
有間皇子は、家で食事することも、結んだ松を見る事もなく、絞首刑にされた
19歳だった
謀反は本当に企まれたのか
中大兄皇子は蘇我入鹿殺害から、次々と有力な人物を排除していった
有間皇子もその一人だ
まだ国のかたちが出来上がる時代
中大兄は豪族による支配ではなく天皇による中央集権国家を目指していた
国外からの脅威が迫っていた時代だった
約10年後に日本は、唐・新羅連合軍と戦うことになる
有間皇子はその過程のある意味犠牲者であった
後世の人々もそう感じていたのか、有間皇子を偲ぶ歌を歌いその魂の鎮魂を願った