割れても末に 逢わむとぞ思ふ
瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
割れても末に 逢はむとぞ思ふ
第75代 崇徳天皇
歌が水の流れのように心地好くよく進む
しかしこの作者は、後に怨霊として怖れられる事となる
作者には不幸で複雑な生い立ちがあった
崇徳天皇の祖父は、院政によって大きな権力を握っていた白河上皇である
白河上皇は息子の堀川には8歳で天皇に即位させ、孫の鳥羽には5歳で、ひ孫の崇徳にも5歳で即位させるなど、幼帝の後ろで権力を振るった
また私生活では藤原家の娘の障子(たまこ・しょうし)を幼い頃から養育し、寵愛した
障子はやがて鳥羽天皇に嫁ぎ、崇徳を産む
そうして5歳になった崇徳は天皇となった
しかし鳥羽帝にとっては幼い我が子に天皇の座を取って代わられ、自分達はまるで白河上皇の操り人形のようだと感じたことだろう
鳥羽の鬱憤はそれだけではなかった
息子の崇徳の本当の父親は白河上皇ではないかという疑いがあったのだ
そうして鳥羽帝は崇徳の事を生涯疎んじることとなる
白河上皇がついに崩御すると、今度は鳥羽が院政によって実権を握り、障子や崇徳は権力を失ってゆく
その近衛天皇が早世してしまった際、崇徳は自分の息子を次期天皇にと願ったが、その最後の望みも退けられてしまう
その後白河天皇に反対派の勢力が集まり、崇徳上皇を担ぎ出して乱を起こした
しかし崇徳方は敗北を喫してしまう
後の人々が怨霊として恐れたのは 後の人々の持つ罪の意識から作り出した幻だ
崇徳帝は不幸な生い立ちだったがよい歌をのこされた
瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の
割れても末に 逢はむとぞ思ふ