見渡せば 花も紅葉も なかりけり
見渡せば 花ももみじも なかりけり
浦の苫屋の 秋の夕暮れ
新古今和歌集にあるこの歌
人生と自然の融合をあらわす幽玄体の歌風で知られる藤原俊成の息子の定家
定家の歌は「言葉は古きを慕ひ心は新しきを求め」る有心(うしん)の美を目指した
後鳥羽上皇より新古今和歌集の撰者に選ばれ、一方で鎌倉幕府の三代将軍・源実朝に歌も教えた
実朝は定家の妻を介して遠縁にあたる
平安末期の歌には否が応にも無常観が漂う
■山深み 春とも知らぬ 松の戸に
たえだえかる 雪の玉水
後白河天皇の皇女の式子内親王は、7歳頃から10年余りを賀茂神社で斎院として過ごした
源平争乱の時代のなかで、同母兄の以仁(もちひと)王を内親王が28才の時に亡くした
25才の時には母を、40才の時には父を亡くす
幼い頃から斎院を勤めた深窓の媛であった式子内親王が、その後ろ盾を無くした後の落差は如何ほどだったであろうか
その頃法然のもとで出家をし、晩年は病(一説には乳がんとも)を患い49才で没した
定家とも同時代であり交流があった
のちに能の演目にもなるなど様々な想像をかき立てられる新古今集を代表する女流歌人だ
■暮るる間も 待つべき世かは あだし野の
末葉(すゑば)の露に 嵐たつなり
化(あだし)野は古代の葬送の地であった