あはれなり わが身の果てや
あはれなり わが身の果てや 浅緑
つひには野辺の 霞と思へば
誰もが知る平安初期の美女・小野小町とこの歌のイメージはあまり結びつかないかもしれない
小野小町は伝説の多い人物で、深草少将の百夜通いや、能の『卒塔婆小町』『通小町』の中の髑髏伝説など…
美しく華やかだった若かりし頃と、それに正反対の老いた姿との対比が、人々の創造力を刺激したのだろう
地方で誰からも顧みられず野ざらしで死んで髑髏となって道端に転がっている姿が語られる
平安時代の葬送の地は、東の鳥辺野と西の化野(あだしの)があった
もとは鳥葬や風葬の地だったと思われるが、主に行基集団の志阿弥(しあみ)という者が火葬に関わり早くから火葬が行われていたようだ
歌にある霞は、火葬の煙であろう
自身が死して火葬され煙となるところまで想像して歌に読む
その歌が格調高く見事に人間の無常感を歌いあげていることから、小野小町という人物の魅力がうかがえる
あはれなり 我が身の果てや 浅緑
つひには野辺の 霞と思へば