古歌集

万葉集・古事記・百人一首・伊勢物語・古今和歌集などの歌の観賞記録

わが恋ふる妹はいますと人の言えば 

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柿本人麻呂 が、『…妻の死にし後に、泣血哀慟(きゅうけつあいどう)(血の涙を流)して作れる…』長歌反歌

 

・・我妹子(わぎもこ)が形見に置ける みどり子の

乞い泣くごとに 取り与うる物し無ければ 

男じもの腋(わき)挟み持ち

吾妹子と二人わが寝し 枕づく嬬家(つまや)の内に

昼はも うら寂(さび)暮らし 

夜はも 息づき明かし

嘆けども せむすべ知らに 

恋ふれども 逢う因(よし)を無み

大鳥の羽易(はがい)の山に

我が恋ふる妹は居ますと人の言えば

岩根さくみて なづみ来し 良けくもそなき

うつせみと思いし妹が

玉かぎる ほのかにだにも 見えなく思えば

 

ふすまぢを  引手(ひきで)の山に

            妹を置きて  山路を行けば  生けるともなし

 

 (簡訳)

・・妻が遺した幼子が泣くけれどどうしようもなく

男の私が子を脇に抱いて

昼は妻と寝ていた離れで侘しく過ごし、

夜は溜め息ばかりついて嘆いてなす術もなく

恋しくても逢う手だてもなく、

羽易山という山に妻がいると人が言うので

岩踏み分けやって来たけれど良い事など無く

この世の人だと思っていた妻と

ほのかにでも逢うことさえできなくて…

(反歌)

引出山に妻を葬り山道を行くと、生きた心地がしない

 

柿本人麻呂の歌には枕詞がたくさん使われるため一見とっつきにくい

それは人麻呂が宮廷歌人として、時の天皇や皇子のためにその場にふさわしい歌を歌う職業歌人のような人で、その言葉に特別な力を与えようとした為だ

それでいて歌のリズムは心地好く、ぎこちなさは微塵もない

 

そんな歌職人のような人麻呂の素の部分が見え隠れしているように思えるのが、これら亡き妻を偲ぶ歌だ

宮廷歌人・人麻呂ではなく、人間・人麻呂としての心情が表現されていて心を打つ