人づてならで 言ふよしもがな
今はただ 思ひ絶へなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな
平安中期の貴族 藤原道雅 の作
溺愛する娘、当子内親王と道雅との恋の噂を耳にした三条天皇は、これに激怒し二人の仲を裂いた
一切 逢えなくなってしまった当子内親王にせめて、「この思いを断ち切ります」 とだけでも直接伝えたいけれど、それすらも叶わない… という嘆きの歌
歌の響き自体美しいが、歌にまつわる三人の人生を知ると更に歌の奥行きを感じる
道雅の祖父は藤原道隆
道隆は、あの 「月の欠けたることもなし」 と歌い権勢を誇った藤原道長の兄にあたる
道隆の家系も天皇家との結び付きの強い名門の家柄だった
しかし道隆の子で道雅の父の伊周(これちか)がある事件を起こしてしまったことによって急速に家は没落してゆく…
道雅がまだ幼い頃に祖父の道隆は亡くなってしまう
当時、家の後ろ盾である父親や祖父が亡くなると、急速にその家の権勢は傾きだすのが常だった
家系が斜陽となった矢先に伊周が事件を起こし、これが決定打となって権力は完全に道長の家系へ集中することとなった
そのように家が没落してゆく真っ只中で成長した道雅は、その振る舞いの乱暴性や凶暴性によって生涯でいくつかの事件を起こし、『荒三位』とか『悪三位』などとも呼ばれた
当子内親王との仲を三条天皇に裂かれた後は、官職にも恵まれなかったため、より悪行へ走ったのではないかと想像する
道雅との仲を裂かれた当子内親王は、その後十代の若さで出家し、早世する
三条天皇は飛ぶ鳥を落とす勢いの道長との関係があまりうまくいかず、そんな中で眼病を患って視力を失ってしまう
三条天皇は道長から、天皇の座からの譲位を迫られ、それを受け入れざるを得なかった
この歌の背景には三者三様の悲しみがあった
ーー 今はただ 思ひ断へなむ とばかりを
人づてならで 言ふよしもがな ーー